読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

パラノイア

パラノイアというほど深刻ではないけど、自分の感じる嫌悪感の正体が分からなくなることがある。

例えば、この土地に住んでいたくないという感情がそうだ。ここにいると、この土地に結びついた過去の経験が想起されて嫌な気分になる。それに近隣住民にも何ヶ月か前に騒音の苦情を出したので仲が悪い。

しかしそれが本当にこの土地から出て行きたいことの理由になるのかどうか、自問自答すると確信が持てない。父によれば、近隣住民と仲が悪いのは確かだが、それで住む場所を変えるほどではないし、引っ越したいというネガティブな理由を他人に押し付けているだけだという。私も父の言う通りだと思う側面があるが、それでもこの土地から出て行きたいと思う気持ちが強いのも確かだ。

7月のはじめに東京のとある勉強会に行った。下宿先の狛江は特別綺麗な街という訳ではなかったが、ここよりは整っていて居心地がずっと良かった。

今いる土地はそうではない。手入れのされていない不潔で鬱蒼とした林があちこちで生い茂っている。埃まみれでところどころ倒壊した色褪せた廃墟が立ち並んでいて、道路はコンクリートが割れて間から茶色に枯れた草が伸びている。暗い気分になってずっと気持ちが塞ぎ込んでしまう。こんな場所に住んでいたくない。しかしこれも決定的な理由にならない。

それに土地に関することだけが悩みの本質的な理由ではなくて、他にも自分ですら何が嫌なのかはっきりしないものが時折ある。

他人を見ていると、どんな些細な行動にでも曖昧さのない裏打ちされた目的をもって動いていて、それは活動の一貫さで表れている。

私にはそういう意志の強さが足りないんじゃないのか?でもどうしたら、自分の感情をはっきりと捉えることができるのか。

むしろもう、嫌悪も喜びも含めて一切の感情を捨て切って、ただ穏やかに、どんな状況でも淡々と暮らしていたい。そうすれば、どんな場所であっても過ごしていられる。

でもそれは生きている意味はあるのか?