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生存欲求を失うとき

他人には当てはまらないかも知れないことを事前に断っておく。
一瞬でも死にたいと思ったとき、生きるために必要な細かな感覚が徐々に失われていくことに最近になってようやく気付いた。
その感覚は例えば一般的な衛生観念だったり、身体が一番動きやすくなる呼吸の頻度の感覚だったり、個々の例を挙げることはできるけどそれぞれで独立したものなので、本来は結びつけて考えることはできない。
しかし根底にはまともに生きていたいという漠然とした考えが共通して存在する。その大きな前提が揺らいだとき、生存欲求を支える細部が消耗していく。
また、主観的な感覚でしかないので証明のしようもないが、死にたいという自暴自棄な欲求は苦痛から逃れるための欲求でもあり、自分の感覚を麻痺させて苦痛に耐える働きをもっているのではないのだろうか。
だから細部の感覚を取り戻そうと決意するたびに、今まで考えないことにしていた強烈な痛覚がよみがえってくると本能的に恐怖しており、躊躇いが回復の妨げになっている。

でも蓄積した負債を一気に払拭するにはそれらの苦痛を覚悟した上で苦痛の原因を自分の中の無意識の諦めに探っていくしかない。最後の言葉は強力だが間違っているので自分にしか突きつけないが、本当に死にたいと懇願したのならそれができるはずである。