7月に自棄になって東京に行ったのですが,昨日の診察のときに精神科の先生からそのこと引き合いに出されて「あなたはよくやっている.普通はそこまで行動的にならない.今まで診てきた人の中でも東京に行きたいと言いつつ行動を起こさない人はいた」と励まされてしまったので,今もかなり微妙な気持ちでいます.

それに引っかかる(というか少し残念な気持ちでいる)のが,先生が今まで診てきた人の中に本当に東京に行きたいと言った人はいるのだろうか,という点です.確かに私は過去に何度か,「仕事の選択肢が多くあるから名古屋や大阪,東京に行きたい」「上京するか都心部に移り住んで働きたい」と先生に対して発言したことはあります.過去の私が咎められているような気分です.考えすぎなのでしょうけれども.

目頭も赤くなっていました.励ますことが感動的だったのか,それとも思ってもみないことを言ったから恥ずかしくて涙目になっていたのか判断できません.私は,判断に困るようなことはできれば言われたくなかった…….

庭の草むしりをしているとテントウムシが草を這っていたので撮影しました。それまで焦りと不安で頭が満たされていて薄暗い気分だったのですが、急に世界が色彩を纏っているように見えて、ささやかな喜びを感じました。

小さくてもいいから事象の独立した喜びを日常の中でたくさん感じ取っていたい。

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短くてもいいから,あるがままに日記をつけようと思う.

(1) 昔のことを考えていた.過去受けた暴力のこと.父が奨学金の保証人になってくれなかったため大学進学を断念したこと.不眠症のこと.家族から受けた言葉の暴力のこと.偏見,孤独,その他有象無象の嫌悪について.

(2) SquarepusherのUltravisitorとChiris ClarkのTedを聞いた.凝縮した過去を何度も引き延ばし追体験した思いだった.新しい音の感覚を探索して取り込んでいきたい.そのために生きるのもまた良い人生なのではないのだろうか.

(3) Manuel Bronstein著のSymbolic Integration vol 1.をはじめから開始している.この本は計算代数の本で,私がC++ GiNaCやLALR Parser Generatorに触れ始めた頃に買ったから5年ほど前から持っていることになるのか.とにかくそれ以来まともに読んでいなくて,コーディングを開始して多項式の基本的な加減乗除と文字列入出力を実装し,PolyDivide,PolyPsudeDivide,Euclidean,ExtendedEuclideanを実装した.気分が悪いので今日はもうやめようと思う.少しずつ確実に進めることが大事だ.

小さかったころ,頭が痛かったり体が怠くてフラフラしていて,ずっとそのことで5歳ごろから15歳ごろまで悩んでいた.

体調の不良を訴えても親や担任の教諭は「お前は普通だ」「元気だから心配するな」としか言わず,級友には動きがぎこちないだとか頭が悪いという理由で馬鹿にされていて,体力の面でもつらかったのですが精神的にも矛盾した状況に耐え切れず,自分を見失っていて頭がおかしかった.

今はどうかと言えば,体調の面ではあまり変化がなく相変わらずんてこ舞いな毎日です.

自分を見失わないよう,自分に言い聞かせることでなんとかなっています.でも,もう限界です.死にたい.

 

追記:Twitterより転載

はっきり言うと,今の私の不満は先ほど日記に投稿したものが全てです.

シンプルですが問題はこの上なく強力でずっと悩んでいて,同じ不満を場面を変えて毎日持て余して死にたいと言っている状態です.誰か助けてください.

あまりそこに行った理由は覚えてないのですが,秋になるといつも思い出す光景があります.

中学3年生のちょうど今頃,三重の海岸沿いを2年生の友人と寮の先生に車に乗せてもらって走った記憶があり,あの時の午後7時前後の曇り空や窓ガラスを黙々と叩く雨粒,開けた景色に鎮座する黒い丘,冷たい湿った空気,灰色の海を鮮明に思い出します.何もかも懐かしいです.

そのとき自分は比喩的に,何に対しても無力で世の中に対しては為す術がないと悟り圧倒されました.しかし寮での生活が安定していたせいか整然としていて,無力であるはずなのに清々しい気分でした.

こんな日々の過ごし方でいいのだろうか.くだらないことばかりに忙殺されて有意義でない.ずっと釈然としない毎日を過ごしてきました.

それでもいつか有意義に過ごせる日が来ると信じ,そう自分に言い聞かせてきたのですが,物心付いた頃から26年過ぎようとしていて何の変化もなく,鬱屈した毎日です.

頭がぼんやりします.疲れで何も考えられません.何年もこんな調子で,意識が鮮明になって生きている実感があった日が果たして存在したのかどうかさえ分かりません.

死にたいと家族に何度も漏らしましたが,その度に何の根拠もなく「自殺はだめだ」とか「入院したらどうか」と押し付けてきます.その度に怒りがこみ上げてきます.疲労や貧困を押し付けた原因であるはずの周囲が,私に責任を求める.

死ぬ一歩手前のラインでずっと停滞しているので,いつかこの日記を書くのもいきなりやめて自殺するかもしれない.

生きていたくない.今まで喜びに値するものがなかった.生活水準は悪くなる一方だ.早く諦めて死にたい.

会話

昔からポジティブな方向・ネガティブな方向を問わず他人が感情的になっている様子が苦手で、例えば予めレギュレーションのような前提条件が決まっているコミュニケーションならそれが共通認識という解釈だけしていればいいが、そこに感情が絡んでくると予測できない流れが発生するので感情の領域に踏み込みたくない。