学問に求めるものについて

昔の自分と今の自分とでは感性が違う。
子供の頃の私が、子供らしく華やかさや楽しさを求める目的でジャーゴンに溺れていたのに、今ではその衝動性を否定するようになり、子供の頃の幻想を粉々に打ち砕くためにかつてのジャーゴンを理解しようとしていて、それが終われば今度はまだ未解決の難題に立ち向かっている。
それに、その時の冷静な自分が好きだ。昔の自分では予測不可能なところが、今まで持っていなかった考えを作り出した感触がして好きだ。この感情もいつか捨てるかもしれないけど。
でも未解決の問題は重い。圧倒される。問題そのものは生まれたときから少しも動いてないはずなのに、それに過去から未来までを見透かされている錯覚に陥る。そのときの自分の無力さを観察する自分も、遥かに強かな未解決問題も好きだ。